渡米生活。(日記)

渡米生活。本家から切り離しました。あまり渡米生活に関係のないプログラムネタや音楽ネタなど。

被災地に心を向けること、ブログというツール

自分でも2つほど情報ブログを運営しているので、時々思うことがある。
「ブログに書いてあることって、どのくらい信用できるのかな、、、」と。

自分の中ではもう答えは出ていて、「そんなもの、愚問」なんだけど…。
人のブログを見る時には、ついそう考えてしまうから滑稽だ。

ブログに限らず、盲目に信じていい文献なんて存在しない。

誰かにとって真実でも、他の誰かにとっては全く不実、不誠実ですらある、ってことは実際にある。
だからこそ、(査読付き)論文を書く科学者は、可能な限り多くの人に「信頼」してもらうために、科学的手法を駆使し、きちんと文法を守って投稿する。なぜなら、「可能な限り多くの人にとって真実であること」を追求するための手法が科学だからだ。
第三者にも検証してもらって、全部OKが出ないと論文としては発表できない。
論文一本出すのに、うちのグループでは草稿から1年かかっている(まあ、これは正直時間かかりすぎで、あまり褒められたことではない……)。

誰にとっても「真実」を書くのがそんなに簡単なことならば、こんな面倒な手続きを踏む必要はない。
だから、世の中に溢れる殆どの文字情報や報道情報は、どこか正しくて、どこか間違っていると思って間違いない。
そして、その間違っている箇所、正しい箇所は、見る人の立場によって大きく変わり得るものだ、と思う。

まあ、そういうわけだから、私の渡米生活ブログも、ウサギブログも、その程度のものなのです(笑)。
勿論、正しい情報を提供しようと努力はし続けているけど、誰かにとっては、「こんなのウソじゃん!」っていう情報もあると思う。


東日本大震災からこっち、色々な方のブログを拝見する。
疑いたくはないが、それでもいつも、ここに書かれている事は、別の立場から見てもそうだろうか、と思う。
だから、どうしても、その直後にネットサーフィンの旅に出てしまう。
そして、毎回、それに対する反論記事を見つける。

特に、動物愛護関係や、ボランティア関係はその落差が激しい。
一方ですばらしい、と言われている団体が、別のブログでは完全に詐欺扱いされていたり、ということがかなり頻繁にある。

正直、何をどこまで信じていいのか、と迷う。
疑って別の角度からの意見を見ようとすればするほど、更に迷う。
結局、どこまでいっても、何をどこまで信じていいのか分からないものを、なんでわざわざ見ようとするのか、と、徒労感に襲われたこともある。

多分、この徒労感は、多くの人が感じたことがある種類のものじゃないだろうか。
それで、「結局どれも信じられないから、あんまり深入りしないでおこう」と距離をとってしまったり。
もっと積極的な人は、「もう自分で参加して確かめてみよう」となって、そこで自分が得た体験をまたブログに書く。
でも、それを見る人にとっては、「どこか信じられない」情報源がひとつ増えただけで。


そのへんの矛盾をどう自分の中で折り合いつけるか、色々迷っていたのだけれど、今日この記事をみて、なんかふっきれた。

http://blog.goo.ne.jp/tokigootokiboo/d/20120128

この中の、松村さんの言葉(正確を期すれば、松村さんが言ったと報告されている、だけど)。

「この悲劇を都会の人は、今は、どこかの外国で起きたことのように思っているのではないか?」

どこが正しいか、どこが間違ってるか、そんなのわからなくてもいいじゃん、という気になった。
いや、鵜呑みはよくないのかもしれないが、わからないから、更に情報を集めようとして、足掻くのは、別にそれでいいんじゃないかと。

で、多分、本当に価値があることは、そうやって足掻きながら、被災地からの声を聞こうと努力し続けることなんじゃないかな。
それが、多分、被災地を忘れない、ということに繋がるのだと思う。

ネットの情報に振り回されて、疲れて、遠ざかっちゃいけない。

整合性ばかりを追い求めていると、もっと大事で壊れやすいものを見落としてしまうかもしれない、と自戒する。


※恥ずかしながら、仮設住宅がそんな有様だとは、今日初めて知りました。水が使えないというのは本当に大変だと思います。
なんで、設計の段階でそこの対策してなかったんだろう…(溜息)